新しい教育に真の学びを

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ニーナ・マイヤーホフ

教えるということ
教育とは天からの使命、すなわち、次世代を含めた全ての世代の未来を大切と思う個人が、情熱を注ぐ天職である。しかし、今日の教育者の多くは、担当科目を教えることに気を取られ過ぎ、今述べた「未来」という何よりも大切なものを築く立場にあることを忘れてしまっている。若者は、私たちの過去を引き継ぐ継承者であるだけではなく、意識進化の新たな段階へと進む巡礼者、社会的・文化的・世界的発展の新段階を築く建築家である。彼らは先人の行いを模倣するのではなく、私たちをより良い未来へと導く建造物の、足場を考える力を持っているのである。

教育者である私たちに求められるのは、子ども・若者・生徒たちが自分たちの望む世界を心に描く時の手助けをすることである。一方で彼らは、自分たちの心に宿る力を十分に発揮して、それを世界と共有することに努めなければならない。さらに、人類という共同体として生きていく術を模索・構想し、人類が互いにつながり依存し合っていることの意味を探求する必要がある。私たち教育者が、そうした生命の深い意味を子どもや若者たちに教えるには、あらゆる意識というものが常に進化を続け、解明されてきていることを理解させる必要がある。

私たちの次の世代は、大きな困難をはらんだ歴史的岐路に立たされている。そのため私たち教育者には、今置かれている状況と知識を次の世代の若者に伝えるとともに、様々な文化・民族・宗教間の違いを超えてそれぞれにみられることであるが、すべての人間本質は神聖なるものであることを、認識させる務めがあるのである

今日、科学と宗教との間では、研究者たちがある一つの共通の結論に達しつつある。それは、すべての人々が生まれながらに類似しているということである。ヒトゲノム研究で実証されているように、人間は遺伝子的に99.9% 同一であり、違いが出るのは残りのわずか0.1%である。「自分があなたで、あなたが自分である」ことを認識してはじめて、そうした自然界の普遍的法則が、私たちの正しい行いと考え方の支えとなる。さらに相違点ではなく類似点を重んじることができてはじめて、目の前の問題に対処することが可能となる。したがって、私たちに求められていることは、私たちの持てる時間と資源を若者のために活用することと、彼らがリーダーシップを発揮して教育的な経験、すなわち、互いを尊重し合うコミュニティ、共通の倫理観、持続可能性の実践、平和、経済的発展の促進につながる経験を積むことができるよう、サポートすることである。

上述の点に加えてさらに解ってきたことは、ヒトの遺伝子はその人の意思に応じて常に変化しうるということである。それならばプラスの意思を持って、私たちの遺伝子構造を変化させようではないか。こうすることで将来、多くの可能性を秘めた優れた遺伝子が生まれるであろう。

「教育(education)」は、ラテン語で「引き出す」「導き出す」を意味する「educare」を語源とする。この「引き出す」とは、私たちの中に宿る何ものか、私たちの中に存在する何らかの知を引き出すことである。さらに、この「引き出す」時に求められるのは、永遠なる自己、時間と空間を超えて存続する歴史的な本質、神聖なる精神の中から発せられるものを直感的に認識し、それを探求することである。この探求は、私たちの中の真の自分を振り返る手段である。生徒一人一人が心の中にある真の自分の姿を追求し、人類という一つのコミュニティの中で、自分がどのように周囲とつながっているのかを学ぶことは、真の自分について内省し評価するプロセスでもある。今述べた本質、すなわち、真の自分、神聖なる精神は、私たち一人一人の中に宿り、個人を表現すると同時に、世界と共有すべき価値を持つものである。この神聖なる精神によって、人類のつながりと互いの依存、すべての根源との間に統一性が生まれ、この神聖なる精神の中に自分という感覚、すなわち、その個人でしか表わし得ない、その個人による自己探求でしか知り得ない自分という感覚が宿っているのである。このような人間の本質は、否定的な自尊心でも肯定的な自尊心でもない。むしろ大きな進化を遂げ、ある目的を持つものである。この生命の目的を認識してこそ、生徒は自身の可能性を十分に発揮し、世界に変化をもたらす大きな力を与えられるのである。真の自分を個人が認識してはじめて、自分と周囲との関係についての探求が始まり、生あるものすべてが重要な意味を持ち、周囲全体に影響を及ぼしうる存在であることへの探求が始まるのである。

心の中の自分は常に、その存在が充分に認められることを待ち望んでいる。したがって、学校とは、将来の就職に備えるためだけの場所ではない。個人が真の自分の存在を認識し、それを最大限顕在化させ、自分自身とさらに大きな全体を含めた、生あるすべてのものを慈しむ生き方を、追求する場所なのである。

世界は変化を続けている。だが、私たちは一つの地球家族である。現在の世界状況から明らかなことは、私たちが大きな変革の真っただ中にいることである。この変化の波によって、私たちは新たな考え方にあふれる大海へと押し流されている。人類のつながりと統一性について、その科学的認識が教育界にも及べば、教育者たちの間に意識の進化についての理解を育むことができる。さらに、自分自身を周囲とつながる個人として認識し、すべての人々のために世界をより良い場所に変えるべく、個人がその一助となりうることを教えることもできる。このように心の中の自分を支えにして、自己の顕在化に向けて心の平和を、さらにはすべての人々のために一層大きな平和を育んでいくのである。

私たちの教育理念を、今日のように情報を詰め込むだけの学校教育から、「真の学習(authentic learning)」へと変革する動きが最近現れてきている。情報は様々な方法で容易に習得することができる。私たち教育者が文化形成を先導する立場にあることを認識できれば、私たちは自らの責務をさらに重く受け止めることが可能となる。さらに、若者が真の学習者となり、思いやりのある人間へと成長する旅路を歩む、その手助けとなることを心得て指導にあたることも出来るのである。

人間の本質と教育モデル
上述の新しい教育理念は、私たち一人一人の中に人間の本質ともなる神聖なる精神が宿っているという、認識の上に成り立っている。私たちはこの神聖な精神を拠り所として、すべての人々に対する真実・正義・思いやり・公正といった原理を教えることの本質を知ることができる。この本質を理解してこそ、教育はより良い世界、すなわち、子供たち一人一人にそれぞれの自己実現の夢を叶える機会が与えられる世界へと、希望をつなぐことができるのである。生徒が持つ本質である神聖なる精神は、より大きな利他を意識した生き方を学ぶ中で受け入れた自分を映し出す鏡であり、周囲からの愛を映し出す鏡でもある。

すべての人々に対する原理と人間の本質という考え方について述べてきたが、こうした原理と本質を生徒たちの学習科目にどのように導入すればよいのだろうか?また、教育者である私たちは、「生きるものすべてを敬うこと」「非暴力」「周囲と共有すること」「耳を傾け理解すること」「地球を大切にすること」「人々の結束力を再発見すること」といった原理を一連の重要テーマとして、生徒たちにどのように教えればよいのだろうか?これにはまず、前述の原理を意識的な生き方に必要なスキルとして導入した学習カリキュラムを設計することである。そうした生き方のスキルで重点を置くのは、グローバルコミュニティーの一員として積極的に社会に関与していくことである。また、原子として生を受けた自分から外の世界での発展までを検証し、それに基づいて私たちの学習戦略を再構築することも可能である。このことは、心の中にある神聖なる精神から、人類家族やコミュニティの中にある私たちの居場所、時間と場所の枠組みで見る私たちの居場所、世界と宇宙における私たちの居場所までの検証を意味する。こうして構築されたカリキュラムでは、基本的学習内容として期待される事柄がすべて網羅されるが、それ以上に重要なのは、生命の奇跡と相互依存の重要性に重点を置いたカリキュラムであること、さらには、人間の中に存在する意識が、生命の網(web of life)と呼ばれるものを通じて一つになるという考え方に、重点を置いたカリキュラムであることである。

以上が教育改革のポテンシャル、すなわち、「自分」から人類家族という一体性への考え方の転換である。現在私たちが抱える苦しみを踏まえた上で、次世代の人々が新たな文化を生み出すには教育が必要である。なおかつ、自分と周囲との間にあるつながりと相互依存関係を自ら十分認識して、自分とすべての人々のために心の平和と世界の平和を築くよう、精神を傾けるのにも教育が必要なのである。

教育者の一人として私は、上述の教育改革のポテンシャルを考える上でいくつかのモデルを定義したいと思う。これらのモデルは、教育現場での指導を分類する目的で使用する用語であり、すべて「真の学習」に属するものである。モデルの概念として重要なことは、人間にはだれしも生まれながらに備わった英知があることを前提とした「探求学習」及び「内省的学習」でなければならないということである。こうした英知は、探求して裏付けて行く必要がある。学校での指導では、適切な質問をすること、資源を提供することに重点を置くことが必要となる。したがって、教師はあくまでもファシリテーター(進行役)であってインストラクター(指導役)ではない。「真の学習」には、内省的プロセスの結果生まれる「利他的学習(altruistic learning)」がある。これは、他人の要求に応えることと、自分自身の要求に応えることとを同等とするものである。「真の学習」のもう一つの側面として、「経験学習(experiential learning)」がある。この学習では、実際の経験を通じて熟考し情報を取得するため、学習者がより深く集中的な学習体験を得ることができる。世の中について検証し個人的・社会的結論を導き出すことにより、学習者が個人と全体との関係について知り、それを理解する必要性が生まれてくる。「真の学習」には、さらにもう一つ別の側面がある。「システム学習(systems learning)」では、あらゆる部分が全体に属するということを、生徒が理解できるよう指導する。ここでの包括的思考プロセスは、システム内のどの部分よりも全体を重視する一方で、その全体の中に自分自身を取り込むことを可能とするものである。最後に、「真の学習」には「トランスパーソナル学習(transpersonal learning)」がある。ここでは未来文化の構築に向けて、他人と関連付けて自分を見つめるために個人的関係と対人関係について考える。以上述べてきた各種学習モデルを連動させることにより、学習者一人一人がより大きな利他に寄与できるようになるとともに、新たな発想を生み出すことができるのである。

倫理の育成
正義・公正・善良という原理に則して意識的に生きるよう教育することにより、普遍的倫理が育成される。倫理とは、私たちが一つの人類家族として幸福な生活を送ることができるよう、全人類が守らねばならない規範である。こうした個人が守るべき倫理と集団的自由との橋渡しをするのが教育である。この自由とは、別の言い方をすれば、自分自身との調和、周囲との調和であり、あるいは心と心が一体化して平和と深い理解をもたらすものでもある。

倫理規範:私心なき愛の行動

          ・個人個人の 見た目・意見・思想・精神に

          ・違いを尊重する心を

          ・感情・思想・行動に誠実さ、透明性を 

          ・感情と思想に真実

          ・立ち上がる勇気

          ・心の平和を顧みる謙虚さ

          ・探求者となる英知

 

根源と真の自分の探求
教育者が神聖なる精神を見出すには、以下の3つの領域における各エクササイズが有効である:

1.内省(心の中にある真の自分の探求): 心の中の自分を呼び覚ます旅をすること。それには瞑想や熟考、祈りといった方法がある。沈黙することによって真の自分が心の中から呼びかけてくるのが聞こえ、個人の目的を体験する。

さらに奥深く真の自分を探求するにつれて、自分というものを決定づけるのが周囲や両親、文化、宗教ではなく、自分の中に住み、顕現を目指す愛情豊かな人間であることに気づく。
      ・私の中の真の自分とは、どのような人物なのか?
      ・私固有のどのような才能を、世界のために役立てることができるのか?
      ・心の中にある自分の夢を、どのように世界で顕現することができるのか?

2.つながり(周囲への思いやり): 自分と周囲との間にある差を埋め、統一性を生むこと。深い思いやりを持って耳を傾け、争いを乗り越え、暴力に訴えずにコミュケーションを図ることにより、地球家族として互いのつながりを築き、調和して生きることができると気づく。

もっともすぐれた善のため、世界でいかにして自分を顕現することができるかに気づく。争いの形を変容させ、相手の存在を認めるコミュニケーションを図り、非難するのではなく評価する。こうしたことは、自分自身に対する非難をやめなければ実現しない。ここから全体の一部としての行動が始まり、統一性が生まれる。統一性は、行動の中に見られる愛であり、精神である。
      ・世界とのつながりをどのように見出し、しっかりとした統一性をどのように築けばよいのか?
      ・相手の人の心の声を、どのように聞くことができるのか?
      ・人生での争いにどのように対処すればよいのか?

3.行動する(なすべきことの自覚): 自分の意識を喚起して、個人の行動や地域レベルのプロジェクト、世界的取り組みを通じて世界の人々に奉仕すること。こうした行動の根底にあるのは、精神的な原理と精神活動(Spiritual Activism)倫理である。

この「行動する」という第3の方法の根底にあるのは、あなたとのつながりを求める若者たちから成る、世界的コミュニティの意識である。あなたもこうした進歩の新たなリーダーとなる。
社会的変化に向けた意識。あらゆる生命に奉仕する生き方について、現在広がりつつある意識を共有する。こうした意識から、生き方の新たなモデルが生まれ、全人類にとり持続可能な未来を実現することができる。
      ・精神活動家としての生き方とは、どのようなものなのか?
      ・意識的な社会変化を促進するためには、どのような行動を起こすことができるのか?
      ・他の人々の生活に前向きな変化を起こすためには、自分にどのような技能が必要とされるのか?

子どもたちの未来は私たちの手にかかっている。心は学習に用いるツールであり、心の英知は学習を進める指針となるものである。若者は内省することにより、自分と周囲の人々の生活の中で、優しさをもって行動するようになる。

心の中の真実に気づき神聖なる精神を復活させ、世の中に変化を起こすべく行動を起こした多くの若者たちがいる。以下にその何人かを紹介する:

  • リベリアに住むローレンスは、父親が殺害されるのを目撃し、施設で生活するようになった。同室で暮らすのは父親を殺害した犯人である。内省と祈りによってこの犯人を許し、心の中に安らぎを得ることができた。
  • 父親が誘拐・射殺されたキャロラインは、その残虐行為を犯した男と会い、それまでに身につけた精神知識をもってその男を許し、父親を失った痛みを受け入れることができた。
  • ネパールに住むジミーは、22歳の時から数多くのプログラムに参加して啓発を受け、祖国の農村部の各地に学校を設立。5,000人を超す生徒が通う。
  • フィリピンのマークは、学用品を必要とする子どもたちのために通学カバンプログラムを始動。今では100校を超す学校でプログラムを進めている。
  • 「理解を深める学習」を行うガーナのアピードゥセンターでは、過去10年間、地元の就学児童向けに各種トレーニングを、子どもたちの自尊心とリーダーシップに関するプログラムを教師向けに提供している。
  • アシュファクは、地震発生時に多くの子どもたちに、医薬品と学用品を届けるため募金活動を行った。
  • スイスのある若者グループは、ベルンやチューリッヒ、バーゼルといった都市で何年にもわたり「フリー・ハグ」活動を展開。この活動は、私たちが一つの人類家族であるという考え方を具現化するため、触れ合うこと、感情や心の中にある欲求を表に出すことへの、文化的障壁を打破するものである。

おわりに
人類の歴史の中で今が好機である。幸運なことに私たちは今の時代に生を受け、明るい未来に向かって、私たちのシステムを再構想するという貴重な機会に恵まれている。私たちの教育の目的は、「人類は皆、精神的な存在である」との理解を、宗教の違いを超えて伝えることにある。私たちの理念で前提となるのは、あらゆる生命が神聖であるということである。私たち一人一人にその神聖なる精神が宿っている。だからこそ、あらゆる生命が尊重されるべきであり、価値あるものなのである。私たちは今、このことを心に刻み祈る、「世界人類が平和でありますように」と。


By: Nina Meyerhof
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