暖炉のような心:神聖なる精神に火をつけるのは「感謝の心」

blog-detail-thumb

ジューン・サウンダース

『富士宣言』は、「人間の本質である神聖なる精神と善なる心を復活させ、自らの上に顕現すること」を謳っています。精神の輝きをより良い世界に向けて役立たせるために、私たちはどのように、自らの精神の光に火をつけ、その炎を大きくしていけばよいのでしょうか。

心の炎を躍らせる燃料となるのは、「感謝」です。研究者によれば、感謝の日記を書き続けることで、うつと闘っている患者の救いになることが分かっています。また、感謝の気持ちを持つことは、肉体の健康にも効果があることが認められています。脈が安定し、より深い呼吸ができるよう肺が広がり、ストレスから解放され、体がリラックスします。この世界で「もっと、もっと」と欲する声が多い中、すでに持っているものに対する感謝は、一人一人の中でこれから開発されるべきアートともいうべき技です。そして、感謝する心が深くなるほど、感謝の対象をより多く見つけられるようになります。

感謝の心は、精神の成熟度と言えます。若者は、特別なイベントや、至高体験をすることに幸せを感じると、研究者の調査結果に表れています。一方、成熟した人々は、人生の小さな喜びを味わい、それに対して感謝する傾向があります。例えば、寒い日の一杯の熱いコーヒー、春を告げるひばりの声、ラジオに流れる愛の歌、親しいご近所からの心のこもった挨拶など。神聖なる精神は、若者と比べて、年長者の人々の間で、より穏やかに、安定し、明るく輝いている場合があります。

一つ一つの感謝の思いは、さざ波のように働きかけ、元気づけてくれます。そして、日常でぶつかる壁やダメージを和らげ、私たちの神聖なる精神の輝きを保ってくれます。感謝は、捉え方次第です。望むもの全てを手に入れている人はいません。世界には、食事で満腹感を味わうことができないような、恵まれない人々がいます。国によっては、先進国では当たり前の衛生技術がないために、命を落とす子どもたちもいます。

「富士宣言」の“一人一人の宣言”に謳っている、「生きとし生けるものは、多様でありながら、一つにつながっていることを認識し、全ての生命を尊重し、いきいきと活かすこと」の目標は、感謝の心なくして、成し遂げることはできないでしょう。

感謝のある生活とは、私たちは自然の恩恵の中で生きていることを認識することです。例えば、私たちが当たり前に吸っている空気。私たちの生命を毎瞬、毎日支えてくれる、生きる上で不可欠な空気は、全く自由に、無限な形で与えられています。しかし、私たちは、どれぐらい空気に感謝しているでしょうか。水という偉大な贈り物も同じです。当たり前のような存在ですが、飲み水、風呂、調理、洗濯など、生活の上で必要なものであり、生きる上で不可欠なものです。このように私たちは、自然の恩恵に支えられているのです。

周りの全てに感謝することは、私たちの神聖なる精神を輝かし続けることにつながります。感謝をもって他者と接する時、より心の落ち着き、安心、静けさを得ることができます。
私たちの感謝の気持ちは、心の温かさを求める人たちにとって暖炉のような存在になるでしょう。

By: June Saunders
close

Forgot Password?

Reset Password

Please enter your email address. You will receive a link to create a new password via email.

Stay Connected. Subscribe for Free

Get the latest updates and help bring about a flourishing, sustainable future.