与える行為を通して神聖なる精神を輝かせる

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クリント・ウェズリー・ウィリアムズ

私たちは、「与えられるよりも、与えよう」という言葉を時々耳にします。そして、与えることは、高い精神性に基づく行為だと言われ続けています。そして、隣人に愛を与えなければならない、愛を与えれば与えるほど、神聖なる精神は育まれていくのだということも。与えることは、健康増進や死亡リスクの減少、人々の協力関係の増加、感謝の心などにも関係することが研究でわかっており、与えられる側、与える側、双方にとって良いことです。人類はこれまで、欠乏への恐れから、物質を奪い合い、地球の資源を枯渇させてきました。

世界の窮状を前にしながら、いまだ私たちは「与える=失う」ことだと恐れ、与えることをためらいます。「この人は、与えるに値する人物なのだろうか、逆にお人好しと思われないだろうか」など、余計なことを考えてしまっているのかもしれません。私たちは怖れを手放し、内にある神聖なる精神を信じなくてはなりません。与えることを通じて、自らと、自らが接する人々の中に神聖なる精神は育まれていくのです。

そして、「ワンネス(あらゆるものはつながっているという世界観)」の文化を実現するため、あらゆる生命を生かすため、私たちは国籍や人種等の境界を超えて、惜しみなく与える努力をしなければなりません。人は、与えれば与えるほど、与えることが当然の行為となりますし、助けを求める人々の声に気づきやすくなります。自分自身について深く知れるようにもなり、存在価値や自信は高まり、物質的価値観から、神聖なる意識を中心とした普遍的な価値観に変わったことに気づくはずです。

また、与えることは、自分がすでに手にしているものや人に与える能力、許容力があることに改めて気づき、深い感謝を感じると共に、受け取り手に対しても感謝の思いが沸くようになるでしょう。そして、与えられた人は、エンパワーされ、自身の神聖なる意識に目覚めていくのです。

アッシジの聖フランチェスコの言葉「与えることで、与えられる」は、まさに真実です。人は、与えることで、与えられるようになります。そして、「富士宣言」で謳われている、一人一人が自らの責任において意識的に生きる世界では、無私の与える行為を通じて初めて、平和的かつ調和的でいられるのです。与えることを通じて、持続不可能と思われる今日の世界の旧い価値観や行動様式への執着を手放すことができますし、私たちは自らが本来持つ神聖なる意識に再びつながり、「富士宣言」の世界を実現できるのです。

By: Clint Wesly Williams

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