死の新たなる理解と富士宣言

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マリリン・シュルツ

地球人類の文明は新たな進化の段階を迎えつつあります。世界中で危機的状況が増加し混乱や不安が絶えない今、私たちは考え方や生き方の根本的な変革を迫られています。
こうした時に提唱された富士宣言を、私は全面的に支持しています。ここには、生命を肯定的にとらえる前向きなビジョンが掲げられていて、これによって私たちは、現代文明が直面する危機や混乱を乗り越え前進することができるのです。 以下、いただいた質問に答える形で、話を進めます。

  • 「死は避けることが出来ない」という人間存在の基本的な側面を前に、私たちは、どのような考え方や生き方をすべきなのですか。

「なぜ死には恐怖がつきまとうのか?」「人は皆、死ぬ運命にあるにもかかわらず、なぜ死というテーマがタブー視されるのか?」この疑問に対し、かの有名な作家マーク・トゥウェイン(Mark Twain)は、次のように答えています。「死への恐怖は、生きることへの恐怖から来る。充実した生活を送る者は、いつでも死ぬ覚悟ができている」というものである。」
文化人類学者アーネスト・ベッカー(Ernest Becker)は、自らのキャリアの大半を「人間はなぜ死を恐れるのか」の研究に費やしました。彼はカリフォルニア大学バークレー校で人類学の教授を務めていたとき、『死の拒絶(Denial of Death)』という画期的な著書を出版し、ピューリッツァー賞を受賞しています。ベッカーは同書によって、死ぬということを文化的視点から議論しようという気持ちを人々の心に甦らせました。同時に、死を拒絶し死と向き合おうとしない人間特有の態度が、現代における社会的病理の根源であると喝破したのです。
ベッカーはさらに、私たちの文化では種々の活動によって、人間の死なねばならない事実を拒絶し、死を遠くに追いやってきたが、その過程で現代社会は、ある種の病理的状態に入り込んでしまった、と述べています。また人間が死を拒絶する行動をとる根本的動機は、死に対して抱く基本的な恐怖を制御し克服するという生物学的必要性からであって、この恐怖は無意識の領域から来ると言います。無意識を言いかえれば、自己意識の領域、心の奥底の感情、生命と自己表現への内なる願望であって、この無意識からの働きかけはその人が生きている限り無くなることはない、と言うのです。

  • 人間が死という現実にきちんと向き合わないと、どのようなことになるのですか。

私が自著『Death Makes Life Possible(仮訳:死は生を可能にする)』(2015年)の中で述べたように、死の拒絶に関するベッカーの研究と理論をきっかけにして、社会心理学者の間ではその後数十年にわたり、「恐怖管理理論(Terror Management Theory, TMT)」と呼ばれる研究が行われてきました。このTMTが提起することを一言でいうと、基本的な心理的葛藤は、生きることを望みながらも避けることのできない死を認識する結果として生じる、というものです。この葛藤によって恐怖が生まれるわけで、この恐怖は人間特有のものと考えられています。TMTによれば人間はだれでも、無意識下に死への恐怖を抑制した状態で抱いているのです。
言い換えれば、普段私たちは恐怖を抱いていることに気づくはことなく、それを和らげるために、人生に意味を与える価値ある文化や集団に加わることで自尊心を高めようとしているわけです。その一例が宗教です。ベッカーの論では宗教の大きな要素の一つとして挙げられ、例えばキリスト教やヒンズー教、ユダヤ教といった宗教の信奉者は、それぞれ同じ信仰を持つ人々とつながりを築こうとします。
TMTでは、私たちが自分の死と直面して、心理学的に言う死の顕現性(mortality salience)が高まった時には、意見や価値観・世界観が異なる集団に対して、攻撃性と暴力性が強まる傾向があると考えられています。しかし宗教に見るように、私たちは「内集団(in-group)」との一体感を強め、この内集団が社会的支援に対する意識や外部からの脅威に対する安心感を向上させているわけです。世界で無数の紛争が繰り広げられている今日では、このように死と向き合うことが、世界平和ためのツールともなり得るわけです。

  • 私たちが、死についての新たな理解を得ることによって、自然界との関係を復活させることができるのですか。

私たちが肯定的な自尊心を育み、様々に異なる見方や世界観を尊重する中で、死についての理解を深める努力をすることは、死への恐怖と不安を緩和し、ひいては他人への暴力や攻撃をも軽減することにつながります。ある意味で、死と向かい合う意識の高まりは、平和を促進すると言えるのです。私たちが構造的に自然というものの部分をなしていることを受け入れるにつれて、人間の社会と自然界との間に緊密で調和的な関係を育み、それを復活させることが可能になるのです。

  • 人間の死に関する研究を通じて、私たちの本質についてどのようなことが解るのですか。

私たちはそれぞれに個性を持った別々の存在でいながら、根本的には互いにつながり合った存在であり、誕生と死はいずれもって個人のアイデンティティを超えたものであって、生命の大きな営みの一つの局面である、ということが解ってきています。

  • 勇気と品格を持って死と向き合うには、どうすればよいのですか。

TMTの研究が示しているのですが、死ぬかもしれないような状況は、個人には動揺・不安を与え、社会には混乱を招きます。しかし、意識的に死と向き合っていると、そうした場合に心理面・行動面で肯定的な対応をするようになるのです。死についての懸念を人と話し合うことにより、人々は成長し、自らの価値観に忠実であり続け、他人と愛情に満ちた関係を築くようになるという証拠は、非常に多いのです。こうして死と向き合い、死について議論し合うことにより、人々はより幸福で健康に生活し、より良い市民になることができるのです。

  • いずれは死ぬ存在である私たちを形成し、支える見えない力について、新たに解明されたことはありますか

私たちの世界観を意識的に変容させる上で必要なのは、人間であることの意味をいかにして経験するかということです。死と向きあう世界観は、私たち個人のアイデンティティを理解し、私たちの肉体が失われた時にそのアイデンティティがどうなるのかを理解する手掛かりの一つとなります。私たちが、死を生命の営みにおける豊かで複雑な一要素として受け入れ、死に身をゆだねることは、死についての仮説や考え方、死後の世界への期待に目を向けるすぐれた機会となります。事実、死のとらえ方に着目することは、いかにして私たちが死への恐怖を乗り越え、充実した人生を送ることができるのか、それを見極めることに通じます。さらに、死とどう向き合うかは、多くの場合、生涯を通じたその人の変容・変化に大きく影響していくのです。 

  • 人間は大きな生命体の一部であるという考え方がありますが、人間の死に関する新たな理解により、その考え方は変わりますか。

私は『Death Makes Life Possible』のビジュアルオーディオと書籍の両方で、幅広い考え方と世界観から人間の死というテーマを検討しました。私たちは、学習を通じて自分自身の世界観のみならず、他人の世界観についても理解と認識を深めることができます。人間には、謙虚に好奇心を持って様々な考え方に耳を傾け、それらを検証する能力がありますが、この能力を活かすことで生きるための新たな道が開かれます。様々な世界観の研究を通じて得られるのは、自分たちの世界観について深く考え、理解し、それを伝えるチャンスだけではありません。人間の考え方の源となっているのが、個人の人生経験や価値観であることにも気づかされます。また、別の世界観を持つ人々の仮説や行動は、その拠り所となる現実のあり方が私たちのものとは異なるものの、いずれも根拠と妥当性があるのです。私たちはこのことを世界観の研究を通じて深く理解できるようになります。
このように別の世界観を理解できるということは、私たち自身の認識と文化的柔軟性が向上することであり、様々に異なる考え方や視点に直面したときに、自分たちが持つ豊かな創造力と回復力を必然的に活用するようになるのです。また、世界観に関する私たちの認識を深めることで、異なる見方や習慣、慣行、考え方に直面した際、そこから得られる新しい洞察に順応できるようになります。
世界観に関する認識能力の向上により、生命と死、またそれらを超えるものについて、私たち一人一人にとっての真実が意識できるようになります。その真実とは、生命を賛美する心です。

  • 死への恐怖が少ない人には、どのような利点があるのですか。

死への恐怖を克服していくことは、良く生き良く死ぬ生き方へと、私たちを鼓舞するものでありますから、深い痛みと苦悩を癒す助けとなります。それには実践が必要です。

  •  博士の研究により、一人一人に宿る神聖なる精神の復活が可能となりますか。スピリチュアルな文献に見られるのと同じ事柄について、科学的かつ現実的な説明ができますか。

臨死体験や自然治癒、通常の意識状態では発生しない現象(霊を見る、すべての存在との一体感を感じる、予知夢を見る)など、人間意識の拡大を示唆する体験が、これまで多くの人々によって報告されています。トランスパーソナル学者でアーキビスト(公文書保管人)のレア・ホワイト(Rhea White)は、そういった体験に見られる現象はそれぞれ異なるものの、いずれもあらゆる生命との一体感や相互のつながり、向社会的価値観を尊重する新たな世界観へと、私たちを導く糸口となると言っています。
そうした通常では考えられない体験に人々は困惑するものです。それらを立証し説明できる第三者的な証明も無いのですが、そういった現象は人生を大きく変える強烈な体験となります。

  • 博士がこれまでに聞いた、死への恐怖を克服する方法として最も感銘を受けたメッセージや意見はどのようなものですか。

私たちの生活には様々な形で分断が生じており、その分断を修復する方法を私は自分の研究を通じて探求してきました。その中には、異なる文化や宗教から来る考え方の他、意識状態の拡大に伴う個人レベルの直接体験につながる様々なトランスフォーマティブ・プラクティス(変容のための実践)もあります。
富士宣言の精神には、内なる英知にエンタングルメントと量子物理学とを結びつけるという新たな世界観があり、これは科学的な根拠に基づく精神性の誕生につながるものです。この新しい世界観は、その根底に死と向き合う意識があり、自分自身や愛する人の死に直面する人々の心に安らぎをもたらすものです。
私たちが相互のつながりを認識することにより、自分自身を他人(生きている人と他界した人との双方)との関係の中でとらえる枠組みを拡大させ、私たちの中に奉仕の精神を育むことができるのです。死への恐怖を変容し克服すれば、その結果として、親切心・寛容さ・愛・思いやり・許しの心・奉仕の精神を一層成長させることができます。さらに、生命共同体としての感覚を拡大し、より受け入れ範囲を拡げたコミュニティを形成することも可能になります。これは、私たちが「他人」という幻想を捨て去り、あらゆる生命が根本的に相互依存関係にあるとの認識を深めることによって可能となるのです。
私たちは、異なる世界観を持つ人に対してそれほど反発しなくなることに気づくかもしれません。その代わりに、彼らを、私たちと同じように命に限りある存在として、関心と感謝の思いで見るようになるのです。世界観に関係なく、死への恐怖を克服することにより、私たちは充実した中身のある生活を送ることができます。
死と向かい合う新しい世界観は、これまでよりも持続性のある社会的実践の発展に適用することができます。死について私たちが持つ共通の社会的・文化的価値観には、その指針となる仮説や方法があるのですが、それらを改めることにより私たちは、現在のシステムを全面的に変化させることができるのです。クリティカルマスとなる人々の一員として、自分たちが集団的に抱える、死を巡る社会病理を変容させることができれば、現代の社会体制、特に医療保健の分野における死のとらえ方を改善することが可能となります。そうなれば、皆が生きがいを感じ幸福感を得られるような生活の実現に向けて、方向転換が図れるのです。こうして私たちは、自身の心の中で変化を遂げるとともに、共創する文化環境を進化させていくのです。


By: Marilyn Schlitz
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