精神性というメタファーと細胞

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ブルース・リプトン

—富士宣言に「人間の本質である神聖なる精神と善なる心を復活させ、自らの上に顕現すること。」という個所があります。博士のご専門である細胞の研究は、神聖なる精神、つまり精神性というメタファーを理解するうえで役に立つものであると考えられます。ご自身の研究から、この点についてお話いただけますか。

そうですね、その前にまず申しあげておきたいのですが、私が博士過程研究員だった頃は、精神性を全く重視していなかったということです。生物化学者、遺伝学者、細胞生物学者として、主に生命の構造や性質について研究しておりましたが、そうした研究では、精神性という概念は重要ではありませんでした。生物学の世界ではそうした概念は必要ありませんでしたから。少なくとも私たちはそう考えていました。

ですが、細胞の性質とその機能を研究する中で、ある時気づいたのです。私個人のアイデンティティには、私の体内には無かった部分があるということです。私たち人間一人一人の<アイデンティティ>は、外界がもたらす固有のエネルギーシグナルと関係があります。量子力学上、このシグナルは、「フィールド」と総称されるものに属します。個人のアイデンティティは、その一部がこのエネルギーフィールドに由来し、このフィールドの情報は、私たちの細胞内だけにあるわけではないのです。

細胞は本来、その表面に「アンテナ」分子群を持っています。ちょうどテレビアンテナのナノサイズ版といったところでしょうか。これが外界からの「放送」を受信して、外の世界の出来事を細胞に伝達します。私たちのアイデンティティは、その外界からの放送と関係があります。地球上の人間にはそれぞれ固有のアイデンティティ受信アンテナ群が備わっており、医学の世界では、そうしたアンテナタンパク質のサブセットのことを「自己受容体」と呼びます。「自己」が放出した物質を受容するレシーバーの役割を果たします。臓器や組織の移植では、適合性検査を行います。この検査によって、ドナーとレシピエントの自己受容体が多数適合することを確認し、レシピエントの免疫システムが移植片を拒絶するのを抑えねばなりません。もし、個人の自己受容体が細胞の表面から酵素的に分離されると、その細胞は個人のアイデンティティを失い、「一般的」な人間細胞となって、どの人間にも移植することが可能となります。こうなれば、レシピエントの免疫システムにより「異物」として拒絶されることはありません。

外界からのシグナルとアイデンティティ
私のアイデンティティが肉体とは別物であって、外界からのシグナルが体中を伝わり、それが現れたものであることに気づいた瞬間、私は驚愕しました! 精神性を重視していなかった私ですが、このメカニズムの性質を理解する中で、自分のアイデンティティが外界からのシグナルと関係することに気づいたのです。

心の中に何か大きな変化を感じながら、私は思いました。「私はここに存在さえしていない!」と。私として意識される存在は、エネルギーフィールドの一部であって、私の肉体の中に実在しないのだから、死んで無くなることはない―この真実に私は圧倒されました。そしてすぐさま私の中に精神性が芽生え始めたのです。「信仰」からではなく、「科学の力」によって!

驚きのあまり呆然としていると、最初のご質問に対する答え<細胞の研究からわかったこと>が頭に浮かんで、再び圧倒されてしまいました。つまり「私という存在は、精神的なものでも、肉体的なものでもある」ということです。そして、このことについて考えるうちに、自分自身に問いかけました。「でも、なぜ精神と体の両方を持っているのだろうか?」と。

この問いかけの瞬間、私の中の50兆個の細胞から直通ホットラインを経由するかのようにその答えが私の脳に伝わるのを強く感じました。こうして人生をも変えるような答えから新たな問いかけが次々と浮かんできました。「おい、ブルース、お前が単なる精神的存在なら、チョコレートはどんな味がするんだ?」「夕陽はどういう風に見えるんだ?」「愛ってどんな感じなんだ?」と。

そして、わかったのです!生物学的な体というものは、仮想現実スーツのようなもので、そのスーツを制御しているのは、自己受容体が<外界からのシグナルを>受信して形成されるアイデンティティなのです。体内の細胞は、外界からの情報を受け取り、神経系を介してその感覚情報を振動に変換する機能を司っています。この振動は、脳波検査で認められるようなものです。こうして私たちのアイデンティティ、すなわち先ほど述べたようにエネルギーフィールドに由来する私たちの根源と言えるものですが、このアイデンティティに脳からの情報符合化振動が送り返されてきます。したがって細胞とは、エネルギーフィールドに戻ってくる情報へと感覚認識を変換する役割を果たすものなのです。臭覚や触覚、味覚、聴覚、視覚、さらには痛みや温度、圧力といったものから生じる感情は、神経系を通じて<振動>に変換され、私たちの根源である<アイデンティティ>に送り返されてくる様々な感覚なのです。

細胞が受発信する情報をフルに感じ、神聖なる精神を復活させる
こうしたことがわかったとたん、私は人生の中で最も重要な教えの1つに遭遇しました。それは、私がこの体で生きている限り、私の命は第一に、この世界を肉体的に感知し、体感するために機能するということです。私のこれまでの人生を少々振り返りますと、まだ幼い頃は、意気地のない弱虫になってはならないという「教え」を守るように言われて育ったのを覚えています。感情を押し殺してタフであるよう教えられました。こうして神経が図太くなっていったのです。体を殴られても、あるいは精神的に打ちのめされても、泣いたりせず、何かを「感じる」ことのないようインプットされたのです。ですから私に対するしつけは、体が第一に司る機能とそのあり方、つまり感覚を伝達するということですが、これに完全に相反するものだったのです。

「繊細」であるよう育てられる女性にしてみれば大変悔しいことなのですが、世の中には男性を「神経の図太い」無骨な人間に育てる文化があります。細胞の研究から明らかになったのですが、私へのしつけはまさに、私と様々な人生体験とのつながりを奪うものでした。このことがわかった瞬間、私は人生の中でさらに多くを感じ取るという現実に向き合おうと誓いました。見ること、触れること、味わうこと、様々なモノを感じること、それからこの世界に触れ、この世界を感じられように様々な体験をすること、にです。これは私の人生にとり喜ばしい新たな幕開けとなりました。なぜなら、「タフで神経の図太い男」になるというそれまでの私へのしつけは、誰の役にも立つものではないからです。特に私にとっては。

私は、これまでの人生で授かった素晴らしい知識を、私の細胞が呼び覚ましてくれたのだと強く信じています。また、人生体験を「変換」し、神経系を介して感覚情報を再び私たちの根源に伝達するという、細胞の機能には尊敬の念を覚えます。

ここまでに「根源」や「精神」という言葉を使ってきましたが、これらは科学的概念としては「フィールド」と呼ばれるものです。「精神」という言葉と科学用語の「フィールド」とは、基本的な定義は一緒です。共に「肉体的実体を形作る、目に見えない原動力」と定義されます。私が研究を重ねてきた「フィールド」のエネルギーは、その影響力が「精神」という古くから使われてきた言葉と同義です。現在、私たちの周囲にある見えないエネルギーの力、「フィールド」が私たちの実体形成に寄与するものであることが科学の世界でも認められています。このことに気づいた今、私にとって科学と精神性とは一体化した存在です。私たちは皆、「フィールド」、すなわち「大いなるすべて(All That Is)」と定義することのできる全体に由来する、それぞれに異なるアイデンティティなのです。「フィールド」についての洞察を得ることによって、私の細胞研究に対する理解は大きく変わりました。

 

—それは富士宣言の「新しい文明のパラダイムとなるのは、すべては多様性の中で一つにつながっているという価値観である。身体の無数の細胞や器官が相互につながり、調和して働くことにより生命を維持しているように、生あるものはすべて地球が奏でる生命交響曲の本質的な一部である。」という文言を彷彿とさせます。博士は細胞研究を通して、新しい文明の価値観をも見出されたのですね。「フィールド(大いなるすべて)」と固有の「アイデンティティ」の関係への洞察を深めたご研究について、さらにお聞かせいただけますか。

1967年から1980年にかけて、私は幹細胞(ヒトの胚細胞に相当)の生態を研究し、幹細胞のクローン形成に携わっていました。この研究では、培養皿の中に幹細胞を1個だけ入れて、それを培養します。幹細胞はおよそ10時間から12時間ごとに分裂し、最初は1個だった細胞が2個、4個へと時間の経過と共に倍増していきます。そして1週間後には、およそ10万個に達します。これらの細胞はすべて、同一の親細胞から生まれたものですから、培養皿の中には遺伝学的に同一の細胞が10万個あることになります。

こうして培養した細胞を3つの培養皿に植え付けます。私の実験は、細胞を取りまく環境、つまり培養液のことですが、その化学的成分を培養皿ごとに変えて行いました。そうすると、1つ目の培養皿では筋細胞が、2つ目では骨細胞が、3つ目では脂肪細胞が形成されました。

ここで明らかな疑問が生じます。「細胞の運命は何によって決まるのか?」です。<今述べた実験>では、遺伝学的なものではありませんでした!3種類の細胞はすべて、遺伝学的に同一の細胞から形成されていますから。実験の結果、細胞の運命を左右するのは「環境」であることがわかりました。遺伝子ではないのです!この発見からすでに40年ほど経過していますが、この時の発見を機に、当時私が医学生に教えていたこととは正反対の真実に目が向くようになりました。当時は多くの教育者の間で「遺伝子が私たちの生態を制御する」という考え方が広く支持されており、私の発見は、そうした考え方への挑戦ともいえるものでした。この考え方は、今日でもいまだに世界中で教えられています。

その後1990年にかけて、私の研究結果が従来の科学の世界で理解されるようになって行きました。今日では、「エピジェネティクス(Epigenetics)」という画期的な学問領域が誕生しています。それまでの「遺伝学的制御」という考え方は、遺伝子が私たちの生態と行動を制御するというものでしたが、「エピジェネティック制御」は、「遺伝学(genetics)」に「上方、上位」を意味する接頭辞「epi-」を冠した画期的な新科学です。したがって「エピジェネティック制御」とは、文字通り「本来の遺伝子情報の上に追加された情報による制御」を意味します。

科学の世界では、私が40年前に発見したことが今ようやく認識されるようになりました。遺伝子を制御するのは、生物を取りまく環境であって、もっと具体的にいえば、環境に対する生物の「認識、感じ方」です。したがって、環境が変化すれば、遺伝子の活動も変化します。気候や生態系に大きな変化が生じた時に生物が死に絶えずに環境に適応できるのはこのためです。

「環境」への認識が、細胞の運命を左右するとは
細胞の制御に関する私の研究から明らかになったのは、遺伝子が細胞を「制御」するという従来の考え方が完全な間違いということです。私がこのことを予見したのは1967年のことです。当時、マサチューセッツ州のウッズホール海洋研究所で発生学の研究を行っていました。当時の生物学者らの間では、細胞の遺伝子は実質的にすべて、細胞核と呼ばれる構造体の中にあると考えられていました。当時の教科書では、遺伝子が生態を「制御」するという考え方が根底にあったので、生命を制御する上で細胞核が「脳」の役割を果たすと説明されていました。ですが、細胞核から核を除去する「除核」についてウッズホールで行った私の研究から、細胞内に遺伝子が無くてもその細胞は2カ月以上生き続けることがわかったのです。除核細胞は、ただの細胞の塊として存在しているわけではありません。あらゆる環境情報に対応するため、それにふさわしい行動を活発に行っていました。食べたり、動き回ったり、コミュニティを形成することさえありました。こうした複雑な行動の1つ1つを細胞の中に遺伝子がないまましっかりと行っていたのです。この発見は、「遺伝子が生命を制御する」というそれまで私が教えていた内容とは全く逆のことでした。

ですが、外界のシグナルがいかにして細胞の行動と遺伝子活動を制御するのか、これを解明する研究のきっかけとなったのは、クローン実験での驚くべき発見でした。この研究の結果、細胞の表皮に相当する細胞膜が情報プロセッサーとなって実質的にその細胞の脳の役割を果たすことがわかりました。細胞膜の外表が外界の情報を「読み取り」、細胞質に面した内表が細胞の行動と遺伝子活動を制御するシグナルを送ります。細胞膜の役割とは、外界の状況を読み込んで、その細胞が生き続けられるよう細胞機能を果たすことなのです。細胞の表皮である細胞膜は、その細胞の脳と神経系を司り、ヒトの胚の場合には、胚の表皮が私たちの細胞の脳であり神経系なのです!

 

—富士宣言には「人間の精神の限りない創造性を発揮し、経済・科学・医療・政治・教育・宗教・芸術・メディア等あらゆる分野に必要な変容をもたらすために尽力すること。」とあります。博士にとって必要な変容、すなわち人生の転機はいつどのように訪れたのでしょうか。その転機によって、博士はどのような考えを得られましたか。

私個人の転機は、1985年、稲妻のように訪れました。当時は、細胞膜の生物学的構造について全く新しい定義を考え出したばかりでした。その定義とは次のように技術的に表現したものでした:細胞膜は液晶の半導体であり、ゲート(タンパク質受容体)とチャネルを持つ。この定義文を書いてから思いました。「これと全く同じ定義文をどこかで読んだな・・・。でも、どこだったかな・・・」とね。

そして見つけたのです、私の人生を変える定義文を!『Understanding Your Microprocessor (仮訳:マイクロプロセッサーを理解するために)』という本の中にあったもので、その数ヶ月前に初めて購入したコンピューターと一緒に手に入れた本でした。この本では、コンピューターチップを「ゲートとチャネルを持つ結晶半導体」と定義しています。これを見て、細胞膜とコンピューターチップの定義が同じなので嬉しくなってしまいました。それからすぐに、構造的にも機能的にも細胞膜がコンピューターチップ、つまりカーボン製の情報処理装置に相当することがわかりきました。そうなると、細胞核はハードディスクで、その中にある遺伝子はディスク内のプログラムということになります。また、細胞膜の外表と内表にある10万個ものタンパク質受容体(アンテナタンパク質)はチップ上のゲートであり、これらがキーボードを構成します。外界からの環境情報は、そうしたアンテナ分子が読み取り、その情報が細胞膜のチャネルを介して生物学的行動に変換されます。細胞膜上の受容体が酵素的に細胞膜から分離されると、それが元に戻るまで、その細胞は何の行動も、何のアイデンティティも発現しなくなります。なぜなら、行動と遺伝子、アイデンティティを制御するのは、外界からの環境シグナルだからです。

私たちは「大いなるすべて」を形成する一部
以上のことが分かった瞬間、2つの圧倒的な真実が私の人生に変化をもたらしました。1つは、私はこの体の中にいないのだから、死に絶えることのない不死身の存在であるということ。もう1つは、人間一人一人は小さくそれぞれに異なり、「大いなるすべて」というさらに大きな全体を形成する一部であるということです。

長い説明はここまでにして、要点を述べましょう!個人のアイデンティティを生み出すのは何か。それは、細胞膜の外表にある自己受容体と呼ばれる複雑なアンテナ分子群が外界から受け取るシグナルである、ということです。

それでは一番大切な結論に移ります。個人のアイデンティティとは、細胞にプログラミングされているものではない―このことに私は強く感動し、思いました。「いや、待てよ。ここで面白い疑問が浮かぶぞ。細胞が死んだら、外からのシグナルも死んでしまうのか?」と。答えは「ノー」です。そうしたシグナルは常に存在しています。細胞だけが生まれ、そして死ぬのです。細胞が生きている間は、それが個人の中にシグナルを読み取り、細胞が死ぬと、シグナルは存在し続けますが、それを人間の中に「ダウンロード」することができなくなるのです。1個の細胞、もしくは多くの細胞から成る人間の体は、テレビのようなものです。放送局の周波数に合わせたアンテナがついています。このテレビが故障する、つまり「死ぬ」ことがあっても、放送は配信され続け、その周波数に「合わせた」アンテナを持つ新しい別のテレビが受信を行います。すごいですよね。生物学の世界でもこれと同じことが再生という形で繰り広げられているのです。

情報は双方向に流れます。「フィールド」と呼ばれる私たちの根源から体へ、そして感覚を受け取った体から根源へと。このことは、これまでになく私を勇気づけ、心を解放してくれた発見の1つです。これが意味することを十分理解するには、先ほどお話ししたエピジェネティクスという新科学について知る必要があります。私たちの意識、つまり精神は、私たちの遺伝子活動を選択するだけではなく、その修正も行います。この仕組みを解明してくれるのがエピジェネティクスなのです。遺伝子を制御するのは意識!私たちの心である意識が私たちの生態と行動を決定づけ、ひいてはそれらが私たちの生活の特性と質を形作るのです。

 

—博士のおっしゃる「環境」とは、細胞を取り巻くさまざまなシグナルのことであり、その中にフィールド、意識や精神も含まれるのですね。私たちには今、神聖なる精神と善なる心の復活が求められています。では、自らの意識や精神を“意識的に”変える秘訣はあるのでしょうか。博士は顕在意識と潜在意識についてもご研究をされていますが、その観点からもお伺いできますでしょうか。

創造力を発揮することのできる顕在意識とは、私たちの「根源」と連結しており、私たちの願いや欲望が表に現れてくる意識の領域です。私たちが自身の生活を顕在意識によって制御できるのは、一日の中で5%前後にとどまることが科学的に明らかとなっています。これはつまり、私たちの生活の特性が主に潜在意識によって制御されていることになります(一日の中で95%)。

残念ながら、潜在意識に関わる幼児教育(7歳児まで)では、子どもたちを無力化する、限定的で自己破壊的な思想が主流です。自己批判的な色合いが濃く、そのため自分自身を愛することができなくなります。これはつまり、他人さえも愛せなくなることを意味します。

考えてみてください。植え付けられた潜在意識ではなく、顕在意識から人生を歩むようになったとしたら、どのようなことが起こるでしょうか。あなたが誰かを好きになったとします。ハネムーン効果でまさに実生活さながらの身も心も舞い上がるような地上の楽園を体験したとしたら?プログラミングされた潜在意識から生きるのではないとしたら?ありがたいことに、限定的な<思想に支配された>潜在意識発達プログラムは修正が可能です。人生を向上させる行動に置き換えることができるのです。そうすれば、地上の楽園のような人生を一生涯送ることができるでしょう。(詳細は、次のウェブサイトをご覧ください:www.brucelipton.com)

ですが、こうしたことはすべて本当なのでしょうか?私がはっきり言えることは1つです。それは、今申し上げた考え方を実践することで、私と妻のマーガレットはこれまでの19年間、豊かで天にも昇るような体験をしてきたということです。今でもそれに変わりはありません!

なんだか知らぬ間に新時代のこじつけ論に陥ってしまったかのようですが、知っておいていただきたいのは、この「極めて抽象的な事柄」が量子力学の原則と、さらには細胞膜上のアンテナ分子に関する新たな考え方と密接な関係にあるということです。細胞膜は細胞が外界からの情報を認識する部分、コンピューターチップでいうゲートとチャネルでしたね。こうした新しい生物学的考え方は、心と体、さらにはエネルギーフィールドと精神とを科学的に橋渡しするものなのです。

それでは最後に面白い考察を1つ。おそらく驚かれるかもしれません。私たちは死後に天国へ行くと信じ込まされています。ではもし本当に天国に生まれたらどうなるのでしょうか。先ほど申し上げた通り、私たちの肉体は仮想現実スーツです。このスーツは、私たちが想像しうるあらゆる形の天国を私たちの非物質的精神が物理的に顕現・創造し、感覚的にもそれを体験できるようにするものです。

さまざまに異なる「自己レシーバー」を持つ意味
白色光をプリズムに通すと、多数の色に分かれて「スペクトル」という色の帯が現れます。こうした周波数の異なる様々な光を再びプリズムに通すと、それらが混ぜ合わさって白色光になります。

では、そのスペクトルから波長が最も短い、つまり周波数が最も高い光を除いてプリズムを通してみましょう。すると、白色光ではなくなります。この話に喩えて私が申し上げたいのは、私たち一人一人が「精神」という1本の白色光であり、その光を地上に取り戻すためには、人間一人一人を1つの神ととらえ、その命を敬わなければならないということです。自分たちが人類と言うさらに巨大な超生命体を成す細胞であることをすべての人間が認識してこそ、再び光が差し込むのです。

「白色光」を作り出す数々の光の周波数が高くなればなるほど、その光は一層鮮明に見えてきます。私たちは物理的な「写真」であり、神を映し出す鏡なのです。一人一人が「ピクセル(画素)」となって、その画像を構成しています。画像のピクセルが多くなればなるほど、当然、解像度は上がります。つまり、より鮮明に見えてくるというわけです。

—本日は有難うございました。


By: Bruce Lipton
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