「神聖なる精神と生きる希望」

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ジューン・サウンダース

私たちは時として、生きる希望が持てなくなります。例えば、信頼する人に裏切られた時、激しい競争の世界で、人間性が踏みにじられた(あるいは否定された)時、また、詐欺や、無謀な運転による命を脅かす事故に巻き込まれた時、愛する人の不用意な言動に傷ついた時、濡れ衣を着せられた時、また、自分が思い描くように生きられない時もそうでしょう。
そんな時は、他者にひどい振る舞いをしてしまうなど、心の中の生きる希望の炎は弱くなり、世界は暗い、陰鬱なものに思えてしまうかもしれません。

人類、そして自分さえも信じることが困難となり、「富士宣言」に謳われている「地球上に真の平和を築くという人類共通の使命を、自らの生き方と行動によって果たしていく」ことは、無理なのではないかと思ってしまいます。こうした困難な状況を乗り越えるには、自らの内にある神聖なる意識、善なる心を認め、復活させることです。神聖なる精神の復活は人類の希望なのです。

私たちの中の神聖なる精神の発現は、日常の身近な例に見ることができます。例えば、長いこと放置され、まっ黒に変色した純銀の食器。元の輝きを取り戻すのは難しいのではないかと思われる状態でも、磨き抜けば、輝きを取り戻していきます。精巧なデザインと細工が顔を出し、銀食器本来の美しい輝きを放つようになります。

永遠の平和をつくり出すために生きる、行動するということは、私たちが自らの心の汚れを落とし、内なる神聖なる精神に意識を向け、磨き、輝かせていくことです。私たちが、品位を持って、正直に、誠実に生きる姿は、暗黒の世界の中で、輝く模範となります。そして、ろうそくの炎が、他のろうそくに火を灯すように、私たちは他者の神聖なる精神に火を灯すことができるのです。

一人一人の神聖なる精神の中にこそ、価値があるのだと知ることが、生きる希望につながります。銀食器のように、その曇りの奥に神聖なる精神の輝きが隠れています。それを自覚することによって、私たちは自らを信じ、人類が持つ可能性を信じ、それを開花させることができるのです。

これが、「富士宣言」にある、「調和した精神文明を実現するための一歩」なのです。

By: June Saunders

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